総合内科よわ医の貧弱ブログ

貧弱な総合内科医が好きなことを好きなように書きます。

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患者を救うのは、医療者だけではない



※今回の記事はフィクションを含みます。

医者の力など微々たるもの

 走り去る霊柩車に向かって、深々と頭を下げた。いろいろな想いが胸をよぎる。

また、患者が一人、亡くなったのだ。大学病院で働いていた際は、患者の死はそうそう経験するものではなかった。基本的には、大学病院は人を死なせてはいけないところなのだ。

 

だが、今の病院は違う。そもそも入院患者が超高齢者メインであり、もともとギリギリだった人が入院してくる。このような患者たちを、元気に走り回れるようにできることは、絶対にない。

 

 医者になる前は、医者はもっとすごい存在だと思っていた。テレビドラマで見る医者は、瀕死の患者を救いまくるスーパーマンばかりではないか。おまけに美男美女だらけ!  

 

 だが、実際はどうだ?この病院に来てから患者やその家族を心の奥底から"救った"などと自信を持って言えることはあっただろうか?家に帰れないから療養型病院へ転院、という作業を繰り返しているだけではないのか。

 

 大学病院時代の恩師が言っていた言葉を思い出す。「我々医者の仕事は、患者がよくなることに少しだけ手助けをするってことだ。間違っても自分が100%患者を治したなんて思わないことだ。」というものだ。以前は意味が分からなかったが、今になってようやく分かってきた気がする。

 

 これには2つの意味があるのだと思う。一つは、文字通りの意味だ。例え診断から治療まで上手くいったとしても覚えていない、もしくは理解していないだけで必ず他者の助けがあるということだ。若いうちは全能感を持ってしまうことがあり、それに対する警告だ。

 

 もう一つの意味が重要であり、やっと最近わかってきたことだ。それは、医者には助けられない患者も居る、ということだ。色々なパターンがあるが、私が直面しているのがいわゆる寿命の近い方で、広い意味では終末期の患者である。

 

 終末期の患者を救うのは誰だ

  医者が重要であることは言うまでもない。その他の医療スタッフも、同様だ。私が言いたいのは、家族だ。本来最も近くにいるはずの家族がしっかりと味方になってあげないと、患者を真の意味で救うことは厳しいのだ。

 

 理想的には、最期を迎える前に医療スタッフとご本人、ご家族の間できちんとした話し合い、いわゆるACP (Advance Care Planning) を行っておくことが望ましい 。ACPについては、また別に記事にしたい。

 

 しかしながら、現実的にはそのような準備がなされている方は非常に少ない。入院後に延命処置を行うかどうかとか、最低限のことを決めるのみにとどまることが多い。患者の想いは、置いてけぼりだ。

 

 体力が落ちていたり、すでに喋ることすら難しい患者に、どのような最期を迎えたいかなど聞けるはずがない。そうなると、一番身近な存在であるご家族に教えてもらうしかないのだ。

 

 我々医療者は、患者を救うために家族の助けが必要なのである。

 

せめて最期くらい向き合ってくれ

冒頭の患者のご家族は、悪い意味で私の記憶に残っている。このご家族は、

  • 面会には一切来ない
  • 転院の話も受け付けない
  • 病状説明も聞いてくれない

 

 そして、患者の亡くなった日。亡くなったことを電話で奥様に伝えた第一声は、「本日は予定があるからすぐには病院に向かえない」であった。最後のお見送りの際も、私を含む医療スタッフに対しては一言も口を利かなかった。

 

 別に、感謝してほしいわけではない。医師として当然の仕事をしただけなのに、感謝などおこがましいだろう。それはどうでもいい。

 

だが、私は本当は、この家族に向かって叫んでやりたかった。「亡くなった患者は、あんたらの大切な家族ではないのか!患者がどんな思いで、どんな有様で病院で過ごしたと思っている?今までいろいろあって仲が良くなったかもしれないが、最期くらい向き合ってやれよ!

 

 頭を下げ終わると、叫びたい気持ちをぐっとこらえて仕事に戻る。この虚しさをどのように処理すればよいのだろうか。いつか必ず、その答えを見つけてやる、そう思っている。