最近暗い記事ばかりになってしまったので、少し明るい記事にしよう。
ピンチなんて大嫌いだ
自分は、メンタルもフィジカルも弱い。弱い医者だから、よわ医と名乗っている。
親に昔の話を聞くと、次から次へと貧弱エピソードが飛び出てくる。そしてそれは現在に至るまで、残念ながら、あまり改善されていない。貧弱エピソードだけで記事を書くことができるが、今回の趣旨から外れるので、ご容赦を。
そんなわけで、私はもっと良い自分になるために成長しよう、とか、困難に打ち勝て、みたいないわゆる"強者"のマインドは持ち合わせていない。できるだけ平穏にストレス無く過ごせれば良いと思っている。
しかしながら、現実は非情である。平穏に、無難に、と考えれば考えるほど危機的状況が自分を追いかけてくるのである。急患当番の時に、今日は重症患者が来ませんように、と強く願ったときに限って重症患者が来る。皆さんも似たような経験が無いだろうか?
どうやら、ピンチから逃げ通すのは難しそうである。今回は、私が医者になってからピンチと対峙して感じたことを話したい。
自分の可能性を信じる
私はお恥ずかしながら、信じられないほどの不器用人間、ぶきっちょ太郎なのである。
靴紐を結ぶことすら苦手であり、我ながらこれでよく医者になろうと考えたな、と思う。
医者は2年間の初期研修期間を経て、自分の専門とする科を決定する。さすがに外科は無理だと思って、早々に諦めた。これは今でも大正解だったと思っている。もし外科になっていたら、今頃医師免許を持っていられたか、わからない笑。
人体の中でも腎臓という臓器が学生の頃から好きだったので、腎臓内科になることに決めた。腎臓内科という科は、医者の中でも残念ながら人気があるとは到底言えない科であり、一般の方々の認知度も低いだろう。
実は腎臓内科は、内科の中では比較的手術などの手技が多い科なのである。とんでもない不器用であったにもかかわらず、なぜ選んでしまったのか。それはやはり腎臓を診たかったし、何より自分を見限りたくなかったからである。
腎臓内科を続けるのが難しそうであれば、科を他に変えればいいだけの話なので、とにかくやれるだけやってみることにした。
ピンチを利用する
現実は予想よりも遙かに厳しかった。透析患者さんの血管 (シャントと言います)に針を刺す際に、手はブルンブルン震えるわ、手術は半分もうまくいかない。上司からも、こいつは駄目だな、と思われているのを強く感じていた。
腎臓内科を諦めることも考えた。だが、そうはしなかった。ではどうしたのか?
とにかく自分を追い込んだのだ。手術が駄目でも、まだカテーテルやシャントの修復などが残っている。それならできるかもしれない。裏を返せば、できなければ腎臓内科として透析をやっていくことはできない。そのときは腎臓内科を諦めるしかない。
今から腎臓内科以外の科に変えたら、一体どうなってしまうんだ?そのように考えた。
怖くて仕方が無かった。怖さを振り払うためには、挑戦をし続けるしかなかった。人間、立ち止まってしまったらロクなことを考えない。本を読みあさり、通常業務が終わった後に模型で練習を続けた。そして本番を迎え、駄目だった点を反省して次につなげるのだ。自分の立ち位置など、もはやよくわからなくなっていた。繰り返すが、とにかく怖かったのだ。
その結果どうなったのか。医者界隈不器用ランキングで間違いなく上位に入るであろうこの私が、カテーテルに関しては、自分で言うのも何だがかなり得意になったのだ。
私は危機的状況に陥った際にわきおこる不安や恐怖を、新たなことに挑戦する原動力として利用したのだった。
ピンチと共に生きていく
今回の記事では、ピンチも悪くないよ、という話をさせて頂いた。それどころか、このような生き方をしていく以上、ピンチが無いと挑戦意欲がわかない人間になってしまった。
そのため最近は、敢えて重症患者の受け持ちを名乗り出たり、新しい手技等に挑戦するように心がけている。ピンチに飛び込んでしまった方が、長い目で見るとピンチに遭遇することも減るのではないか?と思っているからだ。
というわけで、今後もピンチと仲良く過ごしていきたいと思う。末永くよろしくお願いいたします。