総合内科よわ医の貧弱ブログ

貧弱な総合内科医が好きなことを好きなように書きます。

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見た目に気を配るのっていいよね

はじめに

 気が付いたら1か月以上もサボってしまいました。毎日のようにブログを更新されているブロガーの皆さん、本当にすごい。典型的なブログが続かない人になりつつあります。。

 

 さて、本題に移りましょう。私は今アラフォーなのですが、若いころと比べてめっきり見た目に対するこだわりが薄れてきてしまいました。このままではいかん!と思い、最近はまた髪型やら服装に気を付けるようにしてみたら、これが予想以上に得るものがあったで記事にしてみようと思います。

 

なぜ見た目に無頓着になるのか

 理由として

  • 女性にもてたいという意欲の低下
  • 老いに対する諦め
  • そもそも私服で過ごす時間が短い

等があると思います。一つ一つ説明します。

モテ意欲の低下

私に限らず、世のアラフォー男性も私のように無頓着になってしまう人は一定数居ると思います。そもそもなぜ男性が見た目にこだわるか?とい言えばやはりモテたいから

でしょう。

 

しかしながら、アラフォーともなるとすでに結婚をしていたり、結婚していなくても恋愛市場においては最前線にいることは難しくなります。若いころのように心の奥底からモテたいぜー!というエネルギーをわき起こすことはなかなか難しいですね。

 

なかには何歳になってもギラギラしているような方もいらっしゃいますが、、

 

老いに対する諦め

 正直なところ、アラフォーになるまで「ああ、俺老けたな」って思うことはほとんどありませんでした。人生においてまず老いたな、と感じるのがアラフォーではないでしょうか。

 

 具体例を挙げると、肩こりが治らなかったり、筋肉痛が来るのが遅れたり、白髪がどんどん増えてきたり、集中力が落ちているのを感じたり、、キリがありませんね笑

 

残念ながらこれらの老いに対して、多少誤魔化すことはできても無くすことはできません。老けちまったなーとやさぐれてしまう気持ちはよくわかります。

 

私服で過ごす時間が短い

 医師は仕事中は白衣+スクラブで過ごします。そのため、白衣とスクラブはこだわって多少高くても良いものを選んでいます。しかしながら、私服で過ごすのは朝と帰りの通勤時のみです。

 

しかも、今の職場だと週の半分は車通勤であり、田舎なのでそもそも人とと会う事すらほとんどない。鼻毛が出ていようと寝癖が爆発していようと、誰にも気が付かれないという環境なのです。

 

さすがに鼻毛や寝癖は朝直してから出勤していますよ、念のため。

 

やはり見た目に気を配ろうと思ったきっかけ

 そんなダメダメな私が、やっぱり見た目に気を配った方が良いなと思ったのは些細なことがきっかけでした。普段私は寝癖は直すものの、ワックスやらジェルやらをつけることは皆無でした。

 

 ある時前髪が目にかかるようになってきて、鬱陶しく感じていたのです。かといって、前髪以外はまだそこまで長くもないので、美容院に行くほどでもない。。この前髪どうにかならんものか?と思いyoutubeで調べてみたところ。。

 

 今はいい時代になりました。髪のセットの仕方が動画で好きなだけ見られるのですから。久しぶりにちゃんとドライヤーからしっかりとセットをしてみました。

 

自分で言うのもなんですが、単純に多少若く見えるようになりました。そして、意外にも周りからの評判がよかったのです。私はすぐに調子に乗るので、せっかくだから続けてみようと思ったのでした。

 

実際に変わったこと

 実際に少しだけ髪型や服装に気を使ってみて何か変わったのか?3点気が付いたことがあり、

 

  • 自分の格好が予想以上に見られていることに気が付いた
  • 単純に気分が良い
  • やっぱりかっこよい自分でい続けたい

 

結構見られている!

 髪型を変えただけですが、職場ではかなり突っ込みをいただきました。もちろんほとんどがリップサービスでしょうが、仲の良い医師や看護師からは「こっちの方が絶対に良いよ、セットしないのはもったいない」と言われました。

 

 自分の見た目なんて誰も気にしていないだろうと思っていたのですが、そうでもないんだなーと思いました。そもそも私の仕事はある意味接客業なので、やり過ぎは厳禁ですがやっぱり最低限の身だしなみは重要であると再認識させられました。

 

気分が良い

 私は顔の造形は良くはありません。ですが、ある程度ちゃんとした服を着て髪型をセットすれば誰でもそれなりにはかっこよくなれると思うのです。

 

ちゃんとした服、というのは何もブランドもののような高い服ではありません。重要なのはコーディネートです。服や髪型にはある程度決まった組み合わせやセットの仕方があります。それをそのまま取り入れればいいのです。ネットにいくらでも転がっています。

 

 単純に自分のお気に入りの服や髪型をしていると、ちょっと大げさかもしれませんが自信がわいてきて気分が良いんですよ。通勤の時だけしか私服で過ごしませんが、それでも全然気分は違いますね。

 

かっこいい自分でい続けたい

 上でも書きましたが、誰もが老いには勝てません。でも、この考えって残念な考えだと思いませんか?若い時が人生において最高で、おいてきたらあとはひたすら下り坂。。ってことになりかねません。

 

私はそんな人生嫌ですね。全力で反発して生きていきたい。年齢を言い訳にしたくないな、と常々思います。。理想は年をとればとるほどおもしろくなる、そんな人生です。

 

見た目も同様で、年を取ったからかっこよくなるのは無理なんてことないでしょう。

体型を維持する、年齢にあったコーディネートを考えればかっこよくあり続けられるのでは?と最近は思うようになりました。

 

さいごに

 ちょっと見た目に気を配るだけでも自分に自信がついて、より気分良く人生が送れることが発見できた、というお話でした。

 

もう自分はいい歳だから、なんて思っているそこのあなた!きれいごとかもしれませんが、何を始めるのにも年齢なんて関係ないのではないでしょうか。

 

だまされたと思って、ちょっと自分の見た目をいじってみましょう。私のように新たな発見があることを願っています。

 

 

後悔について考える ~映画 バタフライ・エフェクトを通じて~

はじめに

 皆さんには人生の応援歌というものがありますか?私はあります。OasisというバンドのStop Crying Your Heart Outという曲です。Oasisは既に解散してしまったバンドではありますが、多くの名曲を残しUKロック史上最強バンドの一つであると思います。

 

そんなOasisのStop Crying Your Heart Outという曲なのですが、これは映画バタフライ・エフェクトという2004年に公開されたアメリカ映画の主題歌でした。この映画はいわゆるタイムリープもので、テーマとしては結構使い古されたものなのですが、私の人生の中では最も感動した映画の一つです。

 

今回はこれらの映画や音楽に触れつつ、「後悔」ということについて自分の考えていることを書いてみたいと思います。

 

後悔まみれの人生

 人生を振り返ってみると、私の人生は本当に後悔だらけです。多くは些細なことですが、今になってもたまに思い出してしまう後悔もあります。友人にひどいことを言ってしまい、そのまま今に至るまで疎遠になってしまった、好きだった人に好きだと伝えられなかった、、など、今となっては取り返しがつかないことですね。

 

 私なんかまだマシな方で、もっと重い後悔を抱えて生きていらっしゃる方もいることでしょう。後悔を抱えながら生きるって、とってもつらいです。よく「過去は変えられないから、未来を見て生きよう」みたいなことが言われますが、本当にそうなんでしょうか?

 

 バタフライ・エフェクトという映画は、その不可能である過去を変えることが可能な人物が主人公の映画なのです。

 

バタフライ・エフェクト

 

 

 映画バタフライ・エフェクトでは、主人公である青年が、幼馴染である女性と再会した際に自分の幼少期の行いによって彼女が不幸な人生を送っていることを知ってしまいます。彼には特殊な能力がありました。彼は自分のつけている日記を読むことで、その日記が書かれた時代にタイムリープすることができるのです。

 

 主人公は過去に戻って彼女を救うことを決意します。過去で、彼女が不幸になったと思われる原因を除去することで、彼女の人生を変えようとしたのです。

 

 タイムリープの果てに

 さて、タイムリープをすることで彼女は幸せになることができたのでしょうか?答えは、NOです。幸せになるどころか、ますます不幸になっていくのです。この映画のタイトルであるバタフライ・エフェクトとは、一見些細に思える出来事が、大きな変動をもたらす、という意味であるようです。

 

 彼女を幸せにするために行ったことは、些細なことだったかもしれません。ですが、その些細なことが結局は彼女だけでなく、主人公の人生を大きく狂わせていったのです。ますます深い後悔に陥っていく主人公。

 

そして、主人公は最終的にどのような行動をとったのか?それがこの映画の最大の見せ場であると思うのです。興味のある方は、是非映画をご覧になってみてください。

 

過去という「事実」を変えられたとしても、後悔は消えない

 映画バタフライ・エフェクトを見て思ったこと、それはもし仮に自分が主人公と同様に過去を変える能力があったとしても、やはり同じように結局は新たな後悔が生まれるだけだろうなということです。

 

 最近は、強いメンタルが欲しい、と思う人が増えているようです。そのような書籍も散見されます。いわゆるメンタルが強い人の考えとして、「そもそも後悔などというものは存在しない」というものがあります。

 

これは、何か失敗をしたときに、それを失敗ととらえるから後悔をするだけなのだ、というのです。失敗は成功のための通過点でしかない、エジソンやリンカーンを見てみろよ、あきらめずにやり続けることさえできれば怖いものはないぜ!と。

 

 私は、この考えを否定するつもりはありませんし、むしろこのように考えられたら、と思うところもあります。ですが、私には少し受け入れがたいのです。「そんなこと言ったって、それでも後悔してしまうんだよ」と言いたい。

 

私は、後悔は避けようと思っても避けられないものであると思いますし、それでよいのではないかと思っています。

 

過去だって未来だって変えられる

 じゃあなんだ、お前は後悔することは避けられないからあきらめて生きろっていうのか!?という声が聞こえてきそうです。もちろんそう考えてはいません。

 

 確かに、過去という事実そのものは変えられません。そして上記の通り、私は仮に変えることができたとしても意味はないと思います。ですが、過去に対する「解釈」を変えることはできます

 

 あの時、失敗をしてしまった、間違えたことをした、、そこで止まってしまってはいけない。前を向いて、今を精一杯生きることで、冷静に過去を振り返ることができる。

そして、昔の自分を許すことができて初めて過去への解釈が変わり、最終的に昇華されるのではないか。キレイごとかもしれませんが、そう思うのです。

 

すごく簡単なことのように書いてしまいましたが、これを実際に行うことは難しい。他人であれ自分であれ、この「許す」という行為は人が行う事の中でも最も難しいものの一つだからです。時間だって相当かかります。それでも繰り返しになりますが、過去にとどまらずに前を向いて、精一杯生きるしかない。そしてそれが未来へとつながっていくのではないでしょうか。

 

Stop Crying Your Heart Out

 偉そうに書いてきましたが、実際の自分は現在の失敗でへこみ、過去の失敗を思い出し悔やむことが少なくありません。どうしようもなくつらくなった時に、バタフライ・エフェクトの主題歌であるStop Crying Your Heart Outを聴きます。

 

'Cause all of the stars
Are fading away
Just try not to worry
You'll see them someday
Take what you need
And be on your way
And stop crying your heart out

Oasis. (2002.) Stop Crying Your Heart Out [Song].  On Heathen Chemistry. 

Big Brother Recordings.

 

 歌詞の一部を引用させていただきました。どんなに不安になっても、今できることをやるんだ、そうやって生きていけばきっと大丈夫だ、という応援メッセージのように感じています。

 

さいごに

 何だか長くなった割に、月並みなことしか言っていないような。。まあいつもそうなんですけどね笑。もしも今後悔で苦しんでいる人が少しでも気が楽になれば幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。バタフライ・エフェクトは本当に良い映画ですので、是非見てみてください。

 

 

 

内科当直あるある その1 "夜中に血圧測っちゃいました"

 

はじめに

 救急外来関連の話で、今回は内科当直をやっていると必ず1度は遭遇するであろう話をしてみたいと思います。もしかしたらシリーズ化するかもしれません。第一弾は、夜中に血圧を測ってしまったおばあさん、です。

 

丑三つ時の救急要請

 ある日の内科当直。その日は比較的平和な当直であり、0時くらいに当直室で早めに休んでおくことにしたのでした。このまま朝まで逃げ切れるか、と思っていたのですが、丑三つ時に当直PHSが鳴ってしまったのでした。

 

 ※当直医は基本的に夜間は当直室で待機をします。この当直室は綺麗なところであればビジネスホテルのような所もありますが、場末の旅館のようなとんでもない部屋もあります。いつか記事にしたいと思います。

 

眠い目をこすりながらPHSに出てみたところ。。

 

はい、、○○病院当直医のよわ医ですが。。

 

お疲れ様です!○○救急隊です!収容要請でございます!患者さんは○○歳の女性です。高血圧症、骨粗鬆症にて近医に通院をされています。本日午前2時頃に目が覚めた際に血圧を測定したところ、160/100と高値であったようです。再度測定をしてみると、180/100とさらに上昇し、気分不快もあり救急要請となりました。

 

いつも思うが、なんで救急隊の方々って真夜中なのにこんな元気なの?

脳卒中でなければいいな、なんて思いながら、

 

わかりました、あと何分で到着しますか?

と言って準備を始めたのでした。

 

ニコニコ、かわいいおばあちゃん!?

 まもなく救急車のサイレンが聞こえてきました。さあ、どんなぐったりした婆さんが来るのか、と待ち構えていたのですが、、

 

ありがとねえ、一人で歩けるから大丈夫だよ、よっこいしょっと。。

 

と言いながら、すたすたと診察室にしっかりとした足取りで歩いてきたのは、とってもかわいいおばあちゃん (以下Aさん)でした。表情もニコニコ。私は拍子抜けして、思わず笑ってしまいました。

 

Aさん、夜中に大変でしたね。今日はどうなさったんですか?

 

夜中に目が覚めた時に、血圧を測ってみたの。そしたらとっても高くてねぇ。びっくりしてもう一回測ったら、もっと高くなって。もうびっくらこいて救急車を呼んじまったんだよ。

 

試しに血圧を測定してみると、とってもいい値。。

 

良かったですね~、ちょっと測ったときに気分が高まってたのかもしれませんね。お薬はきちんと飲み続けてくださいね。

 

いやー、恥ずかしいねえ。先生の顔を見たら安心したよ。本当にありがとうねえ。

 

 

そう言うと、おばあちゃんはしっかりとした足取りで帰っていったのでした。

 

私の心の声

 私が正直に思ったことを書かせていただきますと。。

 

なあ婆さんや、何で夜中に目が覚めて血圧を測ろうと思ったのだ?最新の知見とエビデンスをもとに俺に納得できる説明をするんだ!どうだ!できるのか!

 

 まあ、そんなこと言っても仕方ないんですけどね。。血圧って、実は計測する環境やその時の気分なんかで容易に値が変わってしまうのです。有名なところで白衣高血圧というものがありますね。

 

 病院で血圧を測ると、家で測るよりも高く出てしまうというやつです。これは、無意識のうちに良い血圧が出ますように!って思ってしまうからなんですね。最新の高血圧症ガイドラインでも、診察室血圧よりも家庭血圧が重視されています。

 

なので、血圧を測定して高い値が出ても、少し深呼吸でもして時間をおいて測りなおすとたいていは良い値が出ます。大切なのは、焦って何回も血圧を測らないことです。今回のようにもっと悪い値が出て負のサイクルに陥りますよ!

 

 私は医者になってから、この夜中に血圧を測ったら高くて救急車を呼んだ、というのを3回も経験しています。しかもなぜか決まってかわいいおばあちゃんなんですよね。。

 

まあでも、おばあちゃんが脳卒中などでなく元気だったからいいかーってなるんですけどね。

 

さいごに

 内科当直をやってきた先生であればすごく共感できるであろう、内科当直あるあるを書かせていただきました。救急と言うと命にかかわるようなものばかり来院すると思ってましたが、実際はこういう救急じゃなくていいじゃん!ってのが結構多いです。

 

 皆さんも夜間に救急受診を迷った際には、是非私の過去の記事をご覧いただけますと幸いです。

 

yowaiblog.hatenablog.com

 

 まだ何個か内科当直あるあるがあるので、不定期でシリーズ化できればいいなと思っております。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

能登半島地震 5歳児が亡くなった件について

はじめに

 前回は、時間外救急外来について記事を書かせていただきました。

yowaiblog.hatenablog.com

 

 能登半島地震の発生後に、5歳の男児が金沢医科大学附属病院の時間外救急外来を受診したにもかかわらず、亡くなったという出来事が話題になっています。今回はこの出来事に関して思っていることを書いてみたいと思います。

 

今回のまとめ
  •  災害医療は多くの医者が経験がなく、適切な医療を提供し続けることは難しい。
  • この男児を対応した医者に全く問題がなかったとは言えないが、自分も適切な診療ができたか問われると、正直自信は全くない。
  • 個人を責めるのではなく、システムを見直す必要がある。過度な医療バッシングはなにも良いことをもたらさない。

なぜ今回の出来事が起こったか?

 いろいろな理由があると思いますが、、これ!というものを挙げるのであれば、一つは災害医療が非常に難しい医療であるということです。また、担当を行った医師の対応に問題があった可能性がないとも言えません。ですが、私は仮にそうであったとしてもこの医師を責める気には全くなれません。

 

災害医療は難しい

 繰り返しますが、災害医療というのは非常に難しいです。なぜなら、そもそも災害というのはそこまで頻繁に起こるものではないので、対応できる医者が限られるためです。

 

日本の災害医療の歴史は実はかなり浅く、1995年の阪神淡路大震災の経験を経て大きく進展しました。トリアージ (傷病の重症度や緊急度に応じて治療優先度を決めること)の概念の浸透や災害医療派遣チーム (DMAT)などの編成も、この30年でようやく進んできたのです。

 

 自分の言葉なんかより災害医療がいかに困難なものかが伝わる動画があるので、ここに張らせていただきます。ぜひ皆さんに見ていただきたいと思います。


www.youtube.com

 

 このような状況下で通常通り医療を提供することなど不可能です。金沢医科大学附属病院も、てんやわんやな状況であったことは容易に想像できます。

 

医者は専門領域以外は診られない

 今回の男児は、熱傷 (やけど) を契機に状態が急変したようです。災害医療の難しさとして、このような熱傷であったり、クラッシュ症候群であったり普段は遭遇しないような疾患と対峙しなければいけないところです。

 

 熱傷は救急科、皮膚科や形成外科の医師であれば見慣れているかもしれませんが、それ以外の科の医師であればほとんど見ることはありません。ちなみに私も医師になってから熱傷の患者を一切見たことがありません。

 

 医者になる前は、医者って幅広い対応が可能だと思っていましたが、実際には細分化の一途をたどっております。専門外の疾患に関しては、学生の頃の知識のままアップデートされてないのが現状です。

 

 一般の方からしたら専門のことばかりやっていないで、色々な病気を診られるようにしろよ!と思うかもしれませんが、いつ診るかもわからない疾患の勉強を継続して行うのは色々な意味でなかなか難しいのです。

 

医師の対応に問題は無かったのか

 実際に男児を診察した医師の対応は問題が無かったのでしょうか?正直なところ、わからないとしか言いようがありません。正確な情報がないからです。ネットニュースの記事を読む限りでは、この医師は熱傷を「軽症ではないが重症でもない」と判断をしたとの記載があります。

 

 まず、そもそもこの医師が何科の医師であったのかが気になります。救急科?小児科?はたまた皮膚科?少なくとも熱傷の専門医ではなかったと思います。医師として常々重要であると考えているのが、自分が対応できないことと遭遇した際には、対応できる医師、医療機関に転送する、というものがあります。実際に災害医療のにも3T (Triage, Treatment, Transportation)というものが重視されます。

 

しかしながら、そもそも金沢医科大学附属病院はその"転送される側"なのですから、どこかに転送するというのは難しかったのでしょう。争点となるのは、

  • 何故入院をさせなかったのか
  • 熱傷の重症度診断は適切であったのか
  • 熱傷の診療が可能な医師であったのか

というところになってくると思います。ここからは完全に私の想像になります。

1月1日の時間外救急外来は、もうメチャクチャな状態であったのでしょう。一人一人の患者をゆっくり診ている暇など無く、トリアージと最低限の処置を行うのでやっとだったのだと思います。

 

 そのため、熱傷だからと言って熱傷の専門医が担当したとは到底思えません。通常であれば他科の医師にコンサルテーションするところでしょうが、それもできなかった。

 

そして、不運なことに熱傷からToxic Shock Syndrome (TSS)という疾患を発症したのではいでしょうか。TSSはブドウ球菌という細菌感染症のうちでも最も重症度の高いものです。ちなみに、わたくしはTSSの診療経験はやはりありません。そうそう簡単に遭遇する疾患ではありません。

 

 私が同じ立場にあったら、正しく対応ができただろうか?正直なところ、難しかったと思います。

 

どうすればよいのか?

 どのようにすれば死を防げたのか?ここまで引っ張っておいて申し訳ないのですが、正直わかりません。とても個人のブログで論ずる範囲を超えています。災害医療を充実させる、などそれっぽいことは思い浮かびますが、じゃあどのように充実させるのか?

 

 現在金沢医科大学附属病院も原因調査を行っているでしょうから、続報を待ちたいと思います。

 

心配なこと

 医療者として心配なのは、過剰な医療バッシングが起こらないかです。既にSNSでは多くのバッシングが飛び交っているのを目にすることができます。もちろん今回の一連の出来事が仕方が無かった、などと言う気はありません。

 

 仮に医師の対応に問題があったとしても、医師だけを罰すれば問題が解決するかというと、そんなことはないのです。対応ができない医師をなぜ配置していたのか、システムの方に目を向ける必要があります。

 

 医療バッシングが過熱しすぎてしまうと、問題の本質が見えなくなってしまうだけでなく、救急医療や災害医療にかかわる医師が減ってしまうのです。そうなってしまっては、災害時にますます多くの死者が発生することになります。

 

さいごに

 亡くなった男児のご冥福をお祈り申し上げます。災害医療は本当に困難を極めます。

ご家族のことを考えるといたたまれませんが、こういう状況だからこそ各自が冷静に状況を見守る必要があると思います。

 

 そして、亡くなった方がいると同時に、多くの救われた命もきっとあるはずです。実際に現地で診療にあたっている医療従事者には頭が上がりません。一日も早い復興を祈ります。

 

 

時間外救急外来とはどんなところ?

はじめに

 以前から、時間外救急外来ってどんなところ?という記事を書きたいと思っていました。しかしながら、検索をかけてみると大量に有名な医療機関やクリニックが正しい情報を提供していたため、記事にする必要は無いかなと思っておりました。

 

 今回、能登半島地震にて5歳の男の子が熱傷 (やけど)を負った後に亡くなるという痛ましい出来事がありました。ネット上では、時間外救急外来にて診療を担当した金沢医科大学附属病院への批判が目立っています。

www3.nhk.or.jp

 

 一臨床医として今回の出来事や時間外救急外来についてやはり書いてみたい!という気持ちになったので記事を書いてみようと思います。今回は時間外救急外来について書きます。

 

今回のまとめ
  • 時間外救急外来は日中の外来とは異なり、機能が大きく制限されている。日中と同じ対応を期待してはいけない。
  • 基本的には、あくまで今すぐに介入しないと、命の危機、もしくはそれに準ずる状態であるかどうかのお判断を行うのが目的。受診するか迷った場合は、まず落ち着いて医療機関に電話をして相談しよう。
  • 医療も資源であり、限られている。高齢者の増加や働き方改革の開始に伴い、救急医療はさらに厳しい状況に立たされる。適切な時間外救急外来の利用をお願いします。

 

時間外救急外来ってどんなところ?

 簡単に一言で言うと、今即座に介入をしないと命に関わるかどうかを判別する外来です(軽症患者を対象とした夜間診療所もありますが、今回は病院を想定しています)。反発を承知で書くのであれば、ちょっと調子が悪いとか、薬がほしいという理由では受診を控えなければいけない外来なのです。

 

 そもそも時間外救急をどのような体制で行っているかを説明します。パターンとしては

  1. 各科当直 (病棟, 外来当直が分かれている)+研修医付き。検査は24時間何でもできる。 : 最強の体制。大学病院の本院や有名基幹病院クラス
  2. 内科・外科当直+研修医付き、その他の科はオンコール (呼ばれたら病院に来る)体制。検査は一部限定されるが、基本的に何でもできる。 (大学病院の分院や、基幹病院クラス)
  3. 内科・外科当直のみ, 研修医は居たり居なかったり。その他の科はなし。検査はかなり限定されるが、一応24時間できる。(一般市中病院クラス)
  4. 内科or外科当直のみ。研修医なし。検査は血液検査ほぼできず、画像はいつでもできるor検査技師オンコール。(場末病院)

 こんな感じだと思います。私はすべてのパターンで勤務歴があります。現在私は4ですが、正直当直はかなりキツいです。外来だけで無く、院内のことも対応しなければいけないのです。

 

 私も医者になる前は全然わかっていなかったので、偉そうなことは言えないのですが、24時間営業とはいえ、かなり機能が制限されているということをお伝えしたいのです。コンビニやファミレスなどは日中とさほど変わらないかもしれませんが、病院は本当にギリギリの体制でやっています。

 

 いやいや、3とか4の医療機関はそうかもしれないけど、1とか2は医療スタッフがたくさん居るんだからごちゃごちゃ言うな!という意見もあるかもしれません。ですが、大学病院や基幹病院がスタッフを揃えているのは重症患者を扱うためであり、決して楽をするためではありません。どの病院も夜間は厳しいのです。

 

受診に迷ったらどうすればいい?

 そんなこと言われたって、夜間につらくなったらどうすればいいんだよ!日中は忙しくて受診できないんだよ!という気持ちになりますよね。

 

 まず大事なのは、落ち着くことです。馬鹿にしてるかと思われたかもしれませんが、まじめに言っています。人間、そう簡単に命の危機には陥りません。大部分がその日の受診すら必要ないのです。落ち着いたら、受診しようと思っている医療機関に電話をしましょう。どのようにしたらよいか、指示をしてくれるはずです。

 

どこに連絡してよいかわからない場合は、自分の住んでいる区役所や市役所のホームページを見てみましょう。夜間救急についてのページが用意されているはずです。

 

 連絡なしでの受診 (いわゆる直来)はお勧めしません。直来の患者は何も情報がないので、よほどの重症でなければ後回しにされてしまいます。ただでさえ辛くて受診しているのに、待ち時間が長いのは耐え難いでしょう。

 

 それを踏まえたうえでお願いです。できるだけ日中に医療機関を受診しましょう。もちろん、夜間に急に症状が出てきて、本当につらいこともありますから、夜間の受診をするな!などという気はありません。

 

 しかしながら、夜間はそもそも検査もあまりできないし、薬の処方もかなり限定されているのです。お金も日中よりかかります。厚労省をはじめ、各種医療機関が時間外救急外来について啓蒙活動を行っているのですが、実際に救急外来に携わる身として、とても浸透しているとはいいがたいと感じています。

 

 googleなどで病院のレビューを見ると、時間外救急外来で検査をしてもらえなかった、とか、薬を出してくれなかったなどのレビューがずらっと並んでいるのです。正直、悲しい気持ちになります。

 

限りある医療資源を大切に

 今後救急医療の需要はさらに増えると思います。最大の要因は高齢化です。高齢者は急に状態が悪くなることが少なくありませんし、簡単に医療機関を受診できないからです。しかしながら、供給が増えるかというと、それはないと思います。

 

yowaiblog.hatenablog.com

 

以前にこちらの記事で書かせていただたいたように、4月から働き方改革が始まります。詳しくは記事を見ていただきたいのですが、端的に申し上げると医師の労働時間が強制的に減らされます。救急もそれを逃れることはできないでしょう。

 

また、今の若手医師はストレスやリスクの高い科を避ける傾向が強まっています。救急医療はまさにストレス、リスクの塊ですから今後医師が不足していくと思われます。

 

 医療崩壊は夢物語などではなく、既に始まっていると私は考えています。新型コロナで、医療体制が予想以上に脆弱であったことは皆様もご存じのとおりと思います。適切な時間外救急の理由がなされないと、救急医療の崩壊もそう遠くないのではないかと感じています。

 

まとめ

 今回は時間外救急外来に携わる身として、どのようなところか知ってほしい、適切に利用してほしいという想いからこのような記事を書かせていただきました。若干上から目線のような書き方になってしまったところもあり、不快に感じたら申し訳ございません。

 ですが、時間外救急外来は本当に医療者の負担が重く、維持するためには皆様の協力が不可欠です。何卒宜しくお願い致します。

 

 

筋トレを習慣化できた話 「Progress, not perfection」

 

はじめに

 自分は学生時代から筋トレというものが嫌いでした。つらいし、成果が出ないし、、だからいつも始めては辞めて、始めてはまた辞めてというのを延々と繰り返して結局続きませんでした。

 

 そんな私ですが、今では週に4回以上は筋トレを続けることができています。私がどのようにして筋トレを習慣化したかをお伝えします。最初に結論です。

 

今回のまとめ
  • ポイントはマシーン化と完璧を求めないマインド
  • マシーン化とは、極力感情を排除するということ。身近な例としては歯磨き。やる時間を決めて、やると決めたらダラダラとやらないようにしよう。
  • 最初から本格的なトレーニーのようなメニューを真似しない!完璧でなくてもよいから、とにかく継続。お勧めはサーキットトレーニング。Progress, not perfectionの精神で頑張ろう!!

※なお、初めに断っておきますが今回の話はとりあえず筋トレが続くようにすることが趣旨であります。筋トレをやりこんでいる方からすると何甘ったれたこと言っているの?という気持ちになってしまうと思います。あくまで全く筋トレが続いたことがない人が対象です。

 

何故筋トレが続かない?

 まずは何故続かないかを考えてみましょう。その理由として①感情が入り込むと、やらなくなる②そもそも継続する方法でやっていない③完璧を求めすぎ

 

一つ一つ解説していきます。

 

感情が邪魔をする

 皆さんはこんな経験はないでしょうか。月曜日の朝を思い浮かべてください。あー、一週間が始まってしまう。。嫌だなあと思いつつ仕事に向かいます。しかしながら、いざ仕事を始めてみると、意外とすんなりこなすことができた。。

 

 こんな感じのエピソードです。自分は結構よくあります。仕事は生きていくために必要なので、嫌だろうが何だろうがやるしかありません。ですが、筋トレはどうでしょうか?スポーツ選手やボディビルダーでもない限り、筋トレをしないと生活できないという人は少ないでしょう。

 

 そのため、筋トレをいざやろうとすると、あー嫌だ、つらい、などの負の感情が湧き出てきてやらなくなってしまうのです。筋トレもいざ始めてしまえばなんてことないのですが、そこのハードルが結構高いです。

 

そもそも継続する方法でやっていない

 これも大事です。当たり前の話ですが、トレーニングを行う場合、まずトレーニングができる環境に行くことが必要となります。そうなると出てくる問題が、どこでトレーニングを行うかという問題です。

 

 大きく分けると家でやるか、ジムでやるかになると思います。私は、まずは家でやることをお勧めします。ジムでやるとなると、まずムに行くという作業そのものが負担になります。それと比較して、家に帰らないという人はまずいないでしょうから、家でトレーニングをすれば、少なくともトレーニングできる場所に行くという問題はクリアすることができます。

 

 もちろん、ジムでトレーニングを行う方が圧倒的に効率が良いことはわかっています。ですが、続かなければ何の意味もないのです。ジムを契約したけど、数回だけ行って辞めてしまった・・という経験のある方、少なくないのではないでしょうか。

 

もう一つはトレーニング方法についてです。こちらは次に説明するマインドの問題も含むため、次で説明をします。

 

完璧を求めてしまう

 ここで言う完璧というのは、いわゆるガチンコでやっているトレーニーが推奨するような筋トレを行うとしてしまうことです。真面目な人ほど正しい方法や、実績のある人の言うとおりにやろうとしてしまうのではないでしょうか。例えば、行える限界の回数を1セットとして最低3セット行う、などです。

 

このような方法を取り入れると、ほぼ間違いなく挫折します。単純にきついので、繰り返しになりますが負の感情が湧き出てきてしまうのです。

 

私が行った解決法

 上記の問題に対して、私がどう対応したのか。①感情を極力排除するためにマシーン化

②「Progeress, not perfection」の精神を持つ。こちらも一つ一つ解説していきます。

 

マシーン化

 上記の通り、人間は感情を持つことを避けられず、それがトレーニングを継続する意味では足かせになってしまいます。なので、感情を極力排除する作業が必要です。それを勝手にマシーン化と名付けました。

 

 皆さんも無意識のうちにマシーン化していることがあると思います。良い例としては歯磨きがあります。歯磨きって大体やる時間も決まっているし、やるときにいちいち感情って出てこないと思うんですよね。筋トレもこのような状態を目指せばよいわけです。

 

時間を固定化する

 

なので、まずは時間を固定化しましょう。時間を決めないと、いつやるかを気分にゆだねることになります。こうなると、まずやらなくなります。筋トレのようにきつくもなくて楽しいことが山のようにあるからです。

 

 筋トレの時間、というものを作りましょう。この時間は短ければ短いほど良いです。間違っても1時間とか設定してはいけませんよ。すぐに挫折してしまいます。最初は5分でも良いと思います。というか、私はいまだに5分しかやらない日も結構あります。

 

考える暇を与えない

 これはどういう事かというと、筋トレを始めた後の時間の使い方を工夫しよう、ということです。私は以前は筋トレを行う際に、メニューはいわゆるトレーニーの方が推奨するような方法でやってしまっていました。そうなると、例えば腕立て伏せを限界まで行うのを1セットとして、3セットやる、、みたいな感じで回数や時間を強く意識することになります。

 

 やってみるとわかるのですが、3セットもやるの、めちゃくちゃきついです。。というか、2セットでもきつい。そして、セットとセットの間につらい、もう辞めたいという感情が湧き出てくるのです。

 

 そこで私は時間は極力短く、考える暇がないようなメニューを組めばよいのでは?と思ったのです。お勧めするのは、サーキットトレーニングです。強度が高いものだと、HIIT (high intensity interval training)と呼ぶこともあるようです。

 

 サーキットトレーニングのよいところは、①トータルの時間が短く、効率が良い②筋トレと筋トレの間の休憩時間がほとんどない③ものによっては有酸素運動も含む、といったところです。

 

 youtubeでサーキットトレーニングと検索してみてください。私はいつも4分から5分くらいのものを好んで行っています。やってみていただけるとご理解いただけると思いますが、あーつらい!って思っているうちに終わるので、いい意味で何も考えることができません。そして、強度もある程度自分で調整することができます。

 

私は器具があった方が面白そうだし、効率も上がると考えディップスバーやチューブを購入してトレーニングに取り入れています。

 

 

 

 

Progress, not perfectionの精神を持つ

 私、この「Progress, not perfection」という言葉が大好きです。座右の銘にしたいくらいです笑。この言葉を知ったのは、The Equalizerというデンゼル・ワシントンが主演の映画です。

 

 映画の詳しい内容は割愛しますが、この言葉は主人公であるマッコールが、ホームセンターの警備員採用試験を受けようとしているラルフィに投げかけた言葉です。このラルフィ、憎めないやつなのですが、悪く言えば自堕落なのです。

 

 警備員採用試験には、どうやら体重の基準も設けられているようで、ラルフィは減量をしなければいけませんでした。しかしながら、ポテチを食べようとしてしまい、マッコールに「Progress, not perfection」と諭されるのです。

 

 映画内では、完璧でなくて前進を、と訳されていたと思います。私の勝手な解釈ではありますが、「諦めずに続けてみなよ。そうすれば必ず道は開かれるから」という意味だと思っています。

 

 少なくとも筋トレでは、この言葉は正しかったし、ものすごい励みになりました。別にちゃんとしたメニューでなくても良いのです。とにかく続けてみましょう。いつのまにか、続けることが苦痛でなくなっているはずです。

 

体はどう変わったのか

 偉そうに話をしてきましたが、「それでちゃんと成果でてるのか?」と気になった方もいらっしゃると思います。自分としてはしっかり成果が出ていると思います。

具体的には

  • 胸囲は10cm上がった
  • 腹囲は5cm下がった、シックスパックとまではいかないが、完全にお腹がへこんだ
  • 細かいことは抜きにして、鏡に映る自分が以前とは全然違う

やや投げやりな感じですが、とにかく成果はしっかり出ています。一日5-10分のサーキットトレーニングを週に4回ほどやっているだけなのに。今はトレーニングの強度をゆっくりゆっくり上げていっているところです。

 

さいごに

 今でも別に筋トレが凄く好きというわけではないのに、今までの記事で最もボリュームが多くなってしまいました。筋トレの話ではありましたが、一番言いたかったのはProgress, not perfectionという言葉かもしれません。

 

 筋トレに限らず、小さな一歩でいいから続けてみましょう。諦めなければ、きっと何かを手に入れることができる。本気でそう思っています。

 

 

私は他人の気持ちが理解できない

はじめに

 最近自分について気が付いた、気が付けたことがあります。それは、私が他人の気持ちを理解できていない、ということです。気が付いたときはショックでしたが、それでも生きていくしかないのです。

 

 今回は、まず私がなぜそのような人間になってしまったかをお話しします。そして、現在生きていくうえでどのような弊害が生じているか、今後どのように生きていくつもりなのかを述べていきたいと思います。

 

 なぜ人の気持ちがわからない

 いろいろな理由があると思いますが、一番大きなものは学生時代に人間関係で失敗してしまったことでしょう。詳しくは以前に記事で書かせていただきました。

 

yowaiblog.hatenablog.com

 

 いじめられたきっかけは、教室でうんこを漏らしたことなのです笑。今となっては笑い話ですが。いじめを受けたことで、もういじめられるのは絶対に嫌!と思ってとった行動が原因で、またいじめられるという悪循環に陥ってしまいました。

 

 一番ショックだったのは今まで友達だった (自分がそう思い込んでいただけかも)人物までもいじめに加担していたことです。友人は少ないながらもいましたが、学校に行くことがつらい時期が続きました。

 

 このような経験を経て、なるべくストレスなく生活するため、もっと大げさに言えば生きるために価値観を変える必要があったのだと思います。それは、他人に対して期待をしないという考えで生きる、ということです。

 

 期待をしなければ傷つくことも、悲しいこともないと、当時は本気でそう思っていたのです。そして私は、徐々に他人に無関心になっていきました。他人に共感したり、気持ちを察したりといったことを意図的に排除してしまったのです。

 

それと同時に、自分が悲しいとか、苦しいと感じたことも他人に話すことをやめました。どうせ無駄だろうと考えたからです。自分のことは自分で褒めればそれでいいや、となっていました。

 

 こうして、他人の気持ちを理解する、ということ自体を行わない人間になっていってしまったのだと思います。

 

ずっと男社会

 もう一つの理由として、私は今までの人生でずっと男社会で生きてきたということもあると思います。家族には母親以外の女性がおりませんし、中高も男子校、医者も現在はだいぶ女性の医者が増えてきてはいますが、やはり男社会です。

 

 男性同士では共感とか、察するという能力はあまり求められません。仕事場でも、もちろんそういう能力があった方が良いのでしょうが、なくても結果をしっかり出していれば何とかなってしまいます。冷たい人とは思われていたと思いますが。

 

そういうわけで、他人の気持ちを理解する能力、共感力ほぼゼロのモンスターのまま何とかやれてしまって今に至るというわけです。

 

生じている弊害

 おかしいな、と思い始めたのは大学生になってからです。中高時代の6年間をほぼ失った代わりに、他人に気に入られたいとか、良い奴だと思われたいという行動が全く無意味だということを悟ることができました。そのおかげか、大学時代はようやく良好な人間関係を築くことができるようになったのです。

 

 しかしながら、女性の友人が全くできませんでした。恋人は少ないながらもできました。今になって思えば大学時代の恋愛なんて、お互いがただ楽しい時間を過ごすことだけ考えていればよかったですから。

 

 女性との会話って、それこそ共感、気持ちを察するということがとっても大事ですよね。私の場合、共感するのではなく解決策を考えてしまっていました。そして、あれがつらかった、これが悲しかったと言われても、「ふーん、そうなんだ」みたいな対応をしてしまっていたのです。

 

今になって思えば、これで女性の友人なんてできるわけありませんね。こんな私とお付き合いしてくれた女性にも、感謝しかありません。

 

それでも、何とかなるものです。男性同士であれば全く問題ないし、女性の友人がゼロでも正直全く困りません。

 

ですが、家族となるとそうはいかないのです。あなたは冷たい、どうして気持ちがわかってくれないのか、と問い詰められることが何度もありました。そのたびに、ああ俺はなんてひどい奴なんだ、と反省するのですが、根本的な人間性が変わるわけではないので同じことを繰り返してしまうのです。

 

私はいわゆるサイコパスのような、本当に全く他人の心の痛みがわからないわけでは決してありません。気持ちがわからないのではなく、気が付けないという方が正しいのだと思います。

 

何度も何度もダメ出しをされるうちに、本格的な自己嫌悪に陥るようになってきてしまいました。ですが、私が生き方を変えていくしかないのでしょう。

 

今後どのように生きるのか

 さあ、私はどうすればよいのでしょうか。俺は他人の気持ちなんてわからねえ、知ったこっちゃねえ!と開き直って生きればよいでしょうか?もちろん、それは違うでしょう。

 

 とはいえ、今から共感力を高めるというのも、現実的にかなり厳しいです。だからといって、このまま他人に不快な想い、悲しい想いをさせて生きていきたくもない。

 

 私がたどり着いた結論は、他人の気持ちが理解できなくても、そういうもんだと受け入れられれば良い、というものです。

 

 大切な人が辛い、と言うのであればそれは辛いんです。だから何も考えずにつらかったんだねって言ってあげればよい。まあ、簡単に言いましたが、それが私にとっては難しいんですけどね。しかも、この生き方を選択する以上、他人の気持ちをインプットして覚えていくしかないので、結局はいばらの道になります。

 

 そして、他人に期待しないという生き方に関しては、これはこれで良い面もあるのであまり変えるつもりはありません。ですが、他人の気持ちを受け入れることと同時に、自分が辛いと思ったことは、信頼できる人には伝えてみても良いのかな、とは思うようになりました。ずっと一人で戦い続けることは、難しいですから。

 

さいごに

 自分が何か大きな欠点がある、と認めることはどんなことでも辛いものです。ですが、認めないことには改善もあり得ないのです。

 

 今の段階で気が付けてよかったと思います。理解ができなくても、受け入れることはできるはず。今後の明るい人生を信じて、生きていこうと思います。