はじめに
最近自分について気が付いた、気が付けたことがあります。それは、私が他人の気持ちを理解できていない、ということです。気が付いたときはショックでしたが、それでも生きていくしかないのです。
今回は、まず私がなぜそのような人間になってしまったかをお話しします。そして、現在生きていくうえでどのような弊害が生じているか、今後どのように生きていくつもりなのかを述べていきたいと思います。
なぜ人の気持ちがわからない
いろいろな理由があると思いますが、一番大きなものは学生時代に人間関係で失敗してしまったことでしょう。詳しくは以前に記事で書かせていただきました。
いじめられたきっかけは、教室でうんこを漏らしたことなのです笑。今となっては笑い話ですが。いじめを受けたことで、もういじめられるのは絶対に嫌!と思ってとった行動が原因で、またいじめられるという悪循環に陥ってしまいました。
一番ショックだったのは今まで友達だった (自分がそう思い込んでいただけかも)人物までもいじめに加担していたことです。友人は少ないながらもいましたが、学校に行くことがつらい時期が続きました。
このような経験を経て、なるべくストレスなく生活するため、もっと大げさに言えば生きるために価値観を変える必要があったのだと思います。それは、他人に対して期待をしないという考えで生きる、ということです。
期待をしなければ傷つくことも、悲しいこともないと、当時は本気でそう思っていたのです。そして私は、徐々に他人に無関心になっていきました。他人に共感したり、気持ちを察したりといったことを意図的に排除してしまったのです。
それと同時に、自分が悲しいとか、苦しいと感じたことも他人に話すことをやめました。どうせ無駄だろうと考えたからです。自分のことは自分で褒めればそれでいいや、となっていました。
こうして、他人の気持ちを理解する、ということ自体を行わない人間になっていってしまったのだと思います。
ずっと男社会
もう一つの理由として、私は今までの人生でずっと男社会で生きてきたということもあると思います。家族には母親以外の女性がおりませんし、中高も男子校、医者も現在はだいぶ女性の医者が増えてきてはいますが、やはり男社会です。
男性同士では共感とか、察するという能力はあまり求められません。仕事場でも、もちろんそういう能力があった方が良いのでしょうが、なくても結果をしっかり出していれば何とかなってしまいます。冷たい人とは思われていたと思いますが。
そういうわけで、他人の気持ちを理解する能力、共感力ほぼゼロのモンスターのまま何とかやれてしまって今に至るというわけです。
生じている弊害
おかしいな、と思い始めたのは大学生になってからです。中高時代の6年間をほぼ失った代わりに、他人に気に入られたいとか、良い奴だと思われたいという行動が全く無意味だということを悟ることができました。そのおかげか、大学時代はようやく良好な人間関係を築くことができるようになったのです。
しかしながら、女性の友人が全くできませんでした。恋人は少ないながらもできました。今になって思えば大学時代の恋愛なんて、お互いがただ楽しい時間を過ごすことだけ考えていればよかったですから。
女性との会話って、それこそ共感、気持ちを察するということがとっても大事ですよね。私の場合、共感するのではなく解決策を考えてしまっていました。そして、あれがつらかった、これが悲しかったと言われても、「ふーん、そうなんだ」みたいな対応をしてしまっていたのです。
今になって思えば、これで女性の友人なんてできるわけありませんね。こんな私とお付き合いしてくれた女性にも、感謝しかありません。
それでも、何とかなるものです。男性同士であれば全く問題ないし、女性の友人がゼロでも正直全く困りません。
ですが、家族となるとそうはいかないのです。あなたは冷たい、どうして気持ちがわかってくれないのか、と問い詰められることが何度もありました。そのたびに、ああ俺はなんてひどい奴なんだ、と反省するのですが、根本的な人間性が変わるわけではないので同じことを繰り返してしまうのです。
私はいわゆるサイコパスのような、本当に全く他人の心の痛みがわからないわけでは決してありません。気持ちがわからないのではなく、気が付けないという方が正しいのだと思います。
何度も何度もダメ出しをされるうちに、本格的な自己嫌悪に陥るようになってきてしまいました。ですが、私が生き方を変えていくしかないのでしょう。
今後どのように生きるのか
さあ、私はどうすればよいのでしょうか。俺は他人の気持ちなんてわからねえ、知ったこっちゃねえ!と開き直って生きればよいでしょうか?もちろん、それは違うでしょう。
とはいえ、今から共感力を高めるというのも、現実的にかなり厳しいです。だからといって、このまま他人に不快な想い、悲しい想いをさせて生きていきたくもない。
私がたどり着いた結論は、他人の気持ちが理解できなくても、そういうもんだと受け入れられれば良い、というものです。
大切な人が辛い、と言うのであればそれは辛いんです。だから何も考えずにつらかったんだねって言ってあげればよい。まあ、簡単に言いましたが、それが私にとっては難しいんですけどね。しかも、この生き方を選択する以上、他人の気持ちをインプットして覚えていくしかないので、結局はいばらの道になります。
そして、他人に期待しないという生き方に関しては、これはこれで良い面もあるのであまり変えるつもりはありません。ですが、他人の気持ちを受け入れることと同時に、自分が辛いと思ったことは、信頼できる人には伝えてみても良いのかな、とは思うようになりました。ずっと一人で戦い続けることは、難しいですから。
さいごに
自分が何か大きな欠点がある、と認めることはどんなことでも辛いものです。ですが、認めないことには改善もあり得ないのです。
今の段階で気が付けてよかったと思います。理解ができなくても、受け入れることはできるはず。今後の明るい人生を信じて、生きていこうと思います。